特集4 失敗事例の検証

 近年日本ではヨーロッパの成功事例刺激され、LRT導入論が盛んになってきました。クルマ依存社会の弊害が深刻になり、その対応策としてモーターリゼーションの犠牲となったトラムの見直しが進んでいる事自体は大変評価すべき事です。トラムは本来、都市交通として、最も利点の多い、使いやすく、安価な輸送手段です。トラム/LRTは中規模都市の基幹交通機関、小都市から郊外へ結ぶ交通機関、大都市における補完的輸送手段として非常に幅広い応用範囲を持っています。また、トラムはストラスブールでは街のイメージリーダーなり、フライブルクでは環境都市の象徴となっているように、都市のシンボルとしての役割を期待されています。ただし、メリットが多い反面、トラム導入にはかなり手間がかかりますし、トラム導入は他の輸送手段に比べて直接都市の様々な場面に及ぼす影響が大きいのです。そのために安易に導入すれば失敗する危険性もあります。
 成功事例が伝えられるヨーロッパですが、中には失敗事例も多くあります。トラムを作るのが人間である以上何かに挑戦する以上は失敗はつきものです。失敗があったからと言って、挑戦を止めるべきではありません。しかし、新たに挑戦するものは、先人の失敗事例から多くの教訓をくみ取り、成功へ糧とすべきでしょう。ということで、ここではいくつかの失敗事例を上げて、日本やヨーロッパにおけるこれからの都市交通政策を考える上での話題提供ができればと思います。

1,シェフィールド
−国中にのしかかる重き十字架−

 おそらく最近のLRT導入事例の中で、最も大きな失敗がイギリス・シェフィールドのLRTと言えるでしょう。何しろ、シェフィールドの失敗は単にシェフィールドにとどまらず、イギリスにおける軌道系交通復権自体にブレーキをかけてしまったからです。なぜシェフィールドの失敗がイギリス全体に影響を及ぼしたかと言えば、シェフィールドは、LRTこそイギリスの公共交通再生の切り札であることを証明する大事な時期に開業したからです。そのため、シェフィールドの失敗によってイギリスはLRT慎重論に傾き、その後イギリスはバス重視に傾いていくことになります。シェフィールドのLRTの失敗は、バスとの競合に負け、乗降客が予想より遙かに下回まわったことです。それによりLRT運営会社は完全に経営破綻し、結局大手バス会社に買い取られました。この事は、イギリス全土にLRTはお金がかかり、経営が難しい乗り物であると認識させてしまいました。シェフィールドのLRT失敗事例を検証するには、イギリスのLRT導入の推移とイギリス交通政策を理解する必要があります。

 イギリスで最初にLRTを導入したのはニューカッスルですが、これは国鉄の近郊線を電車運転に置き換えただけであり、ドイツのSバーンに近い存在です。事実上イギリスにおけるLRTのパイロットとなったのが1987年のロンドン東部・ドックランズ地区の再開発に伴い導入されたLRTです。ドックランズのLRTは全線高架式で集電も第3軌条方式、電車は自動運転方式になっています。フランスのVALや日本の新交通システムに近い存在です。安価なシステムとするために、既存の貨物線インフラを転用できるLRT(鉄輪式の小型軽量の電車)を導入しました。ドックランズ地区の再開発が順調だったこともあり、ドックランズLRTは所定通りの成果を収めました。続いて導入されたのが1992年のマンチェスターのLRTです。マンチェスターでは、複数ある国鉄のターミナルを路面電車で連絡、LRTが国鉄−路面電車を直通運転するものでした。もともと人口の多いマンチェスターで、近郊線が都心へ直通するという運転形態ということもあり、乗客は予想より多く、LRT導入は成功しました。ドックランズ、マンチェスターともに既存のインフラ転用で比較的安価なシステムでした。それに対して、1994年導入のシェフィールドは全線新設で、しかもほとんどが路面走行と、ドイツやフランスのトラムに近い存在でした。つまり、本格的なトラムとしては、シェフィールドはイギリス初の事例であり、その成否が全国に波及するもの無理がありません。

 もう一つ、イギリスのバス規制緩和も影響しています。かつてイギリスは自治体の公営バスが独占で運営してきましたが、サッチャー政権下の規制緩和で民営化、競争原理の導入が行われました。この結果、シェフィールドではLRT導入時にバス路線の再編が出来ず、バスとの競合にさらされたのです。しかも、不幸なことにシェフィールドは地形に起伏が多く、LRTは遠回りの線形となってしまい、需要を下げてしまいました。バス路線との競合、さらに元々のルートの悪さが災いして、シェフィールドのLRTは需要が無かったのです。現在のイギリスではブレア労働党政権によって新交通政策が導入され、自治体は地域交通計画を策定、これによって環境保全をめざし、自動車の削減と徒歩・自転車・公共交通強化を図ることが義務づけられました。それに伴い公共交通の規制緩和が一部見直され、自治体とバス会社の間で品質協定を結ぶようになりました。現在ならば、LRT導入に伴い自治体がバス会社と協定を結び、公共交通同士の無駄な競争を避けることも不可能ではありませんが、当時のシェフィールドではそれが出来なかったのです。

 シェフィールドの失敗の原因は、何と言ってもバスとの競合が第1です。しかし、元々路線設定が悪く、仮にバスとの競合が無くてもうまくいったかどうかわかりません。起伏の多いシェフィールドに対応するために、トラムは100‰という急勾配を登れる強力な車両を導入しました。それでも迂回する必要があるくらいシェフィールドの地形は険しかったのです。LRT(トラム)がシェフィールドに本当に適した交通機関であったのか?本質的にはまずそこを検討する必要があるでしょう。トラム大国のフランスでさえ、起伏の多いレンヌではゴムタイヤ式ミニ地下鉄のVALを導入しました。シェフィールドでは、ゴムタイヤの新交通や、比較的地形に左右されにくい地下鉄の方が適していたのかも知れません。イギリスはドイツやフランスに比べて自治体の公共交通への財源が少ないこともあり、以後お金のかかる軌道系公共交通の導入に自治体が躊躇する結果となってしまいました。例えば、イギリス屈指の大学町ケンブリッジは、周辺人口増大に伴い公共交通を強化する必要がでてきました。ドイツの大学街、フライブルクと人口規模的にはあまり変わらないケンブリッジですが結局LRTやトラムではなくガイドウェイバスを選択しました。イギリスの場合、PFIなどに見られるように公益事業に対するコストが他のヨーロッパ諸国に比べてシビアであったこともあり、シェフィールドの失敗事例は(それだけが原因でないにせよ)イギリスにおける軌道系交通復権に悪影響を与えたことは間違いありません。

2,ナンシー
−まず導入ありきの無謀な挑戦−

 世界で初のゴムタイヤトラムを導入したナンシーも、失敗事例の一つと言われ始めています。ナンシーのトラムはなにしろ、運行上のトラブルが多く、やたら遅延を巻き起こしているのです。ただトラブルが多いだけならともかく、2000年末に開業した直後に設計上致命的なトラブルが判明し、1年間運休を強いられたくらいです。乗客の伸びもいまいちのようで、あまり評判は芳しくありません。他の街と異なり、ナンシーの場合はとりあえず路線を挿入しただけ、という感じで他の都市政策との連動がないというのも痛いところです。新しいシステムを入れる上で初期不良はつきもので、試行錯誤を繰り返して改善していかなければならないのはパイオニアの宿命とはいえ、ナンシーのトラムの不安定さはその許容範囲を超えているようです。ナンシーの場合は当初計画自体がまずかったのでは?という疑問が起こります

 まずTVRというゴムタイヤトラムというシステムを導入したこと自体は別に間違いではないでしょう。少なくとも、TVRはパリ郊外のバス専用路TVMで3kmほどの実験線を建設、営業運転を行いながら試験をして一定の成果がでていましたから、成功の見込みのある技術を採用したことには違いがありません。同じTVRを採用したカーンはそこそこうまく行っているようですので、ナンシーの場合は使い方がまずかったのでは?ということになります。TVRの特徴はトラムとバスのデュアルモードが可能と言うことです。ナンシーは都心部はトラム、郊外部はトロリーバスとして走行することを予定していましたので、ゴムタイヤトラムでも、デュアルモード可能なTVRを採用したのです(既存のトロリーバスのインフラを転用するため)。ナンシーのTVRのまずい点は、二点あります。まず第一に、建築限界を満たさない線路を敷いてしまい、接触事故を起こすポイントがある点です。第二に、トラムとバスの切り替えポイントがあまりにも多く、切り替えに失敗して遅延の原因になることが多いのです。第一の点に関しては、ナンシー駅前の陸橋の坂道に存在するS字カーブおよび、終点の中央病院前のループ線です。駅前S字カーブはすれ違うトラムの接触事故が多発したために、ここではトラムがすれ違えない単線区間のように扱われる始末です。病院前ループは、手前の区間ですでにバス走行していたこともあり、ループ線は使わずバスターミナルで折り返しています。明らかに無理な路線設計をしていることがわかります。また切り替えの多さも、運転が煩雑になるのは目に見えています。単純に都心部がトラムで、郊外部がバスモードならば切り替えは二回で済むので問題が無かったのですが、郊外の終点駅付近のみまたガイドを取り付け、全線でモード切替を四回もすることになってしまいました。実は、TVRはバスモード時でも曲線通過性能は悪くありません。終点駅のガイドは必要ありません。都心部のようにある程度まとまった距離のガイド区間ならばその区間はハンドル操作無用で運転がラクになりますが、短区間のガイド走行のために面倒なモード切替を繰り返すのははっきり言って余計に煩雑になるでしょう。つまり、ナンシーのシステムとしての失敗はTVRそのもののが原因ではなく、単に路線の設計が悪かっただけということになります。

 ナンシーの路線を見てみると、これは長距離の実験線ではないか?と印象を受けます。最初に新しいシステム導入する路線は、今後の開発をかねてわざと急カーブや急勾配をつけて実用試験を兼ねることも少なくないそうです。ナンシー駅前のS字カーブに見られる無茶な線形やあまりにも多いモード切替も、実験線ならば納得がいきます。トラム路線自体、まず導入ありき、それも世界で最初だからいいという感じで建設した感じです。そして、単なる路線挿入だった上に都市計画上の位置づけがあまり明確で無かった点も、トラムのまずさに拍車をかけました。新しいシステムを入れるなら、もう少し慎重になるべきだったのです。実際、ナンシーのTVRはトロリーバスとして走っている方が安定しており、初めからトラムではなく三連接トロリーバスとして走った方が良かったのかもしれません。なにしろ、元からナンシーにはトロリーバスが走っていたので、車両だけ入れ替え、その分の余力を都心部の空間再編成やゾーンシステムの導入に充て、都心部のみバス専用レーン導入などを行った方が良かったのでしょう(ルーアンは第2フェーズではトラムではなく、専用レーンバスを選択したくらいです)。今のフランスはトラム導入が街のステータスシンボルとなり、しかも街ごとに新しい趣向を競っている状況です。その中で時のナンシー市長は他の都市に遅れるなとばかりにトラム導入、しかも世界初の機軸導入という判断を下したのです。ナンシーがTVRを選んだのはデュアルモード対応だったからです。しかし、それは裏を返せば本来ナンシーにはトラムよりもトロリーバスの方が最適な輸送手段だったということを示唆しているように思います。トラム導入を目的としたが故に、関連する都市政策とのリンクが希薄だったり、機種選定や路線設定にミスが生じたという感じです。交通機関というのは本来は別の目的を達成するための手段、つまり交通需要をどうさばくか、つまり人をどうやって運ぶかということです。手段と目的を取り違えたという点がナンシーの失敗を引き起こしたのではないかという気がします。

3,ボルドー
−挑戦には失敗がつきもの−

 ボルドーのトラムは、失敗と言うよりは失態と言った方がよいでしょう。上2点の事例に比べれば遙かにましです。しかし、失態続きで市民の評判は良くないようで、改善点が必要な事は間違いありません。ボルドーのトラムの失態は、まず第一に工事が遅れて開業が遅れたという点(さらに予定線の半分しかまだ開業していません)、第二に部分開業後も新方式の路面給電方式がまだ不安定で初期故障に悩まされて遅延が生じている点です。なにしろ、シラク大統領を乗せた開業一番電車が、路面給電方式のトラブルのために遅延するという失態を演じてしまったからです。では、なぜボルドーでこのような失態を招いてしまったのか?まず運営会社のConnexボルドーについて言えば、以前よりボルドーのバスは運転が荒く、また遅延が多く、一言で言えば運行がいい加減だったのです。トラムでも、このバス時代のいい加減な運行が災いしている感じがしないまでもありません。また、Connexボルドーにとってもトラムは初めてなので、まだ運行に慣れていないということもあるでしょう。もう一つ、最初の計画がやや欲張りすぎという点も上げられます。まず第一フェーズの路線延長が他に比べて長く、路線も3路線同時開業です。その上、新機軸の路面給電方式を採用しています。ストラスブールですら、最初の路線は10km弱で、6年後に第2フェーズの路線が開業して24km4系統(実質3系統)の路線網になったのです。それに対して、ボルドーでは第1フェーズでいきなり現在のストラスブールの路線網に匹敵する22km3系統の路線網の建設に踏み切ったのです。路線が長ければ建設に時間がかかりますし、新方式の採用も初期不良問題があるので、トラブルが多くなるのは当たり前です。初期不良を避け、安定した運行するためにはもう少し慎重に段階的に整備した方が良かったのかもしれません。

 ただし、ボルドーの場合は段取りがまずかったとはいえ、計画そのものは全く妥当だった点では、上記二点の失敗例とは根本的に異なります。つまり、現在頻発する初期不良が解決し、第一フェーズの路線も無事に全線開業して、安定した運行になれば立派な成功事例になるのです。22kmの路線は最初に建設する路線としては多かったと上で言いましたが、この22kmの路線が早急に必要とされる路線であったことも紛れもない事実なのです。ボルドーは都市圏人口六〇万人を超える大都市で、市内のバスはフランスでも一位の利用客数を誇っています。しかも郊外に団地や大学が広がっているために、郊外−都心を結ぶ交通需要が増加して交通機関は逼迫していました。ボルドーは軌道系交通機関が早急に必要な状況になっており、そのために22km路線を建設する必要があったのです。むしろ今回22kmの路線が大きすぎるというよりは、もっと早く作らなかった事の方が問題でしょう。初期不良が続く路面給電方式ですが、これは世界中のトラムが渇望していたシステムなのです。トラム最大の弱点は、架線が景観に与える影響です。これを解決する手段として、架線をなくす方法がかねてより求められていました。ボルドーの路面給電方式は、グルノーブルの低床車と並んで、世界のトラムの新しいスタンダードとなる可能性を秘めている方式です。路面給電方式の採用によるトラブルは、本当に必要な新しい技術に積極的に挑戦したが故のトラブルであり、世界中で渇望される新システムである架線なし集電システム採用に踏み切った点は、積極的な挑戦として大いに評価すべきことです。

 結局のところ、ボルドーは乗った馬が名馬すぎてまだ乗りこなせない状況に過ぎません。上手く乗りこなせるようになれば、他を凌駕する俊足で翔る馬なのです。現在のトラブルが解決し、運行がうまく行った暁には、ストラスブールやカールスルーエ同様に世界中の関係者から評価されるようなトラムであることだけは確かなのです。

失敗の影響を検証する
−英仏の明暗−

 フランスでは、ナンシーという大失敗事例があるにもかかわらず、トラム建設ブームはとどまるところを知りません。まもなく、ミュルーズ、ヴァレンシアンヌ、クレルモン=フェランで開業しますし、ル=マンやニースでも計画が進んでいます。シェフィールドの失敗が全国のトラム普及にブレーキをかけたイギリスの事例とは大違いです。現段階で、地下鉄、新交通システムをあわせた軌道系都市交通機関の総数はフランスで21路線、イギリスでは10路線とフランスの半分にとどまっています。両国は人口はほぼ同じ約6000万人で、イギリスはフランスの半分以下の国土面積で人口密度が高く、むしろイギリスの方が公共交通が発展しても良い状況です。やはり、根は1994年にあるでしょう。この年、イギリスはシェフィールドのLRTを導入しましたが大失敗。一方でフランスはストラスブールのトラムが開業、その成功は遠く離れた日本にまで影響を与えたくらいです。フランスは、ストラスブールのトラムの成功によってトラムが一気にスタンダードになったから、ナンシーの失敗事例でそれが揺るいだりはしなかったのです。イギリスのシェフィールドはトラムの成否をはかる大事な時期であったが故に、その失敗が国中に響いたのです。

 両国の制度も大きく影響しています。イギリスは公共交通への財源が少なく、独立採算に近い経営をしています。一方でフランスは公共交通建設・運営の財源が大きく、建設を推進しやすいという状況があります。建設コストがそれなりに大きいLRTの失敗は、確かにイギリスでは軌道系交通慎重論が起きる原因になります。逆に、フランスのように財源が潤沢な状況(軌道系交通導入ならば、自治体の交通税の税率を上げられる)だと、ナンシーのような無謀な導入をしてしまう可能性も大きいのです。フランスの場合は、ナンシーは単にナンシーのやり方がまずかったとだけ受け止められていますが、イギリスの場合は、LRTはリスクが大きいという解釈をされてしまったのです。公共交通機関は、都市ごとの適正や財政状況だけでなく、国全体の状況にも影響されます。シェフィールドも、単にLRTがシェフィールドにあわなかっただけなのに、イギリスでは使いにくい手段というレッテルを貼られてしまいました。日本の状況を見れば、財源の制約・独立採算ではイギリスに近い国情です。日本でも、千葉モノレールのように路線設定・機種選定に問題があって撤退すら検討されはじめている事例もあります。失敗事例から学ぶ点は、機種選定、路線設定という点はもちろん慎重に、それだけではなく一つの事例が他の都市や国全体にどんな影響を与えるかも考えておく必要がある点でしょう。当然の事ながら、トラム(LRT)も単なる公共交通機関に過ぎません。交通機関であることは、人を運ぶためにあるわけで、人を運ぶ需要自体に対応する公共交通でないと成功しません。都市政策もまずLRTありきではなく、どういう交通機関が街の交通需要にふさわしいか、また街のためにはどんな交通需要であればいいのか、という点をよく考慮する必要があるでしょう。




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2004年4月3日 作成
参考文献・資料
・西村幸格・服部重敬『都市と路面公共交通』2000、学芸出版社など



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