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哲学するトラム その1

グルノーブルのノンステップ車導入
−世界中に広がった低床化の先駆け−

=後編=

目次
はじめに
1,技術が中絶するということ(前編)
2,80年代当時の日米の状況−超低床車導入前史(前編)
3,グルノーブルのトラム開業−それは革命の始まり
4,グルノーブル形トラムがもたらしたもの


3,グルノーブルのトラム開業 
−それは革命の始まり

 1987年フランスで2番目の新設系として、グルノーブルのトラムが開業した。グルノーブルのトラムは、その後のトラム新設の手本となったものである。都心にトラムを導入するとともに、自動車規制をかけて歩行者とトラムだけの優先空間トランジットモールとする。トラムに導入にあわせてバス路線の改編を行い、トラムとバスとの結節を重視、公共交通のネットワークを強化する。トラム導入とともに都心の自動車規制やパークアンドライドの推進などを行い、自動車から公共交通への転移をはかる。都市計画と結合して、公共施設にトラムを引き入れ、公共交通利用促進を図る。グルノーブルではこういったことをすべて取り入れたのである。実は、すべてドイツで先行して断続的に改良する中で編み出された手法ではあるのであるが、グルノーブルのトラムは新設ということで以上のことを開業とともに一気に実行した。グルノーブルのケースは、トラムの都市交通再生への効果を世間に知らしめたのである。

 グルノーブルのトラムが画期的であったのはそれだけではない。導入された車両に新たな新機軸が導入されたのである。それは、段差のないトラムである。フランスでは、1982年に交通基本法(LOTI)が定められ、そこで「人は誰でも移動する権利を持つ」という交通権が認められた。交通権の策定は、まさに公共交通復権の後押しとなったのである。その中で特にクローズアップされたのは身体障害者の移動の保障である。車椅子の身体障害者が介助なしで乗降できる公共交通が求められたのである。トラムは路面を走る分高架鉄道や地下鉄に比べて上下移動が少ない分バリアフリーに近い乗り物であるが、乗降の時の段差が問題であった。グルノーブルでは、地元の身体障害者団体から、段差のないトラムにして欲しいという要望が出されたこともあり、床を低くしたノンステップのトラムを導入することになったのである。
 だが、当時超低床車はその試みが始まったばかりの状態であった。下図を見てもらえばわかるが、この当時存在したのは入り口付近に床が低い踊り場を置くスタイルの電車である。車内のステップが大変だというので、踊り場を広げて車椅子1台分のスペースを確保するというものである。
電車の図面
図1 初期のノンステップ車両。入り口付近だけ床が低い。

 この構造にすることによって車椅子は段差なしで乗降が可能である。だが、座席と入り口の間には段差があるし、床が低い部分の面積が狭い。また車椅子のスペースは回りから見下ろされる格好になるためにやや息苦しい。足腰の弱い老人などのことを考えればもっと床の低いスペースを拡大する必要がある。そこで、もっと低床部分を広げようとするわけだが、問題がある。というのは、電車の車輪をささえる車軸があるので、台車の上は車軸より低くできないのである。台車と台車の間の狭い部分しか床を低くできなかったのである。そこで考え出されたのが、車軸をなくして、車輪を外側から支え、間の部分を通路として使い、床の低い部分を車両全体に行き渡らせるという方法である。
図の解説:普通の電車は車軸の上に床があるので床が高い。ノンステップの電車では車軸がなく、車輪と車輪の間が通路になっている。
図2 ノンステップ車の車軸と床の関係
 通常の路面電車では、左のように台車よりも上に床があり、路面からはかなりの高さがある。そこで、車輪を左右で独立させて車体外側から支え、車軸をなくすことが考えられた。そうすれば、台車の部分の通路の床も低くできる。だが、ちゃんと車輪が脱線せずにうまく回転してくれないといけないし、この部分にモーターを置くとなれば相当機構が複雑になる。車軸なし車輪の開発は、当時ノンステップ車開発にとって最大の障壁であったのである。

 以上のように、ノンステップ車両の導入にはいろいろとクリアすべき課題が多かった。グルノーブルのトラムの製造は、フランスで最大手の鉄道製造メーカー、アルストム社が担当することになった。トラムをフランスで作るのは、本当に何十年かぶりのことであった。アルストム社はTGVの製造メーカーであり、鉄道技術と言う面では世界でもトップクラスである。だが、フランスでは完全に中絶したトラムを、しかも当時まだどこも導入していなかった新機軸を入れて開発することには多くの困難があることは予想できる。現に、1970年代アメリカでは、欲張って新機軸を入れたが故障続きとなったSLRVという失敗例がある。

 関係者の努力が実り、1987年、グルノーブル向けのトラムが誕生した。世界でも初なる車軸のない台車を採用し、車内のうち実に65%までが低床部分となり、車椅子はもちろん、足腰の弱い老人も楽に乗降し、席まで行くことができる。世界で初となる機軸を取り入れたトラム、大胆に新機能を取り入れる一方で、実に堅実な設計を行っている。すでに実用化されたシステムを極力使うことによって、安定した車両にしようとする意図があったのである。

グルノーブル電車車両外観(前記形)
車両の内装・床の高さ
図3 完成したグルノーブル形トラムとその車内。なお、この図は初期形の電車で、冒頭のイラストのグルノーブル後期型電車とは、運転台脇窓の形が少し違う。横からの図ではわかりにくいが、中央部の台車の車輪は車軸がなく、この部分の床の通路が確保されている。

 グルノーブルに導入されたトラムは全長33m、中間に短い台車ユニットを配した3連接構造。ドアは4枚あり、迅速な乗降ができる。中間のモーターのない台車に車軸なし構造を取り入れ、前の客ドアから後ろの客ドアまでの、車内の65%がローフロアとなり、段差なしで乗り降りできるようになった。ドアとドアに配置された座席は、入り口と同じ低床部分であり、ここに座れば街を行く人と同じ目線で窓を眺めることになる。モーターのない台車から車軸をなくすことは比較的簡単にできたので、グルノーブルのトラムで65%の低床部分が実現したのである。
 一方で、このトラムは堅実な設計を行っている。まず車体の前後につけられたモーターの付いた動力台車は、車軸なしにするのが当時の技術水準では難しかったので、通常のボギー台車を採用した。動力台車の上の、車内の前後の部分には一段高い場所ができてしまうが、65%が低床になれば車椅子や老人の利用には十分なスペースがあるため、この部分だけ高くてもさほど問題にはならない。動力台車は電車にとってはまさに心臓部であるし、メンテナンスで一番手間がかかる部分でもある。この部分を長年使って信頼のある通常のボギー台車にすることにより、所定の性能確保とメンテナンスの安定性を確保したのである。このトラムの動力部分の車体構造はトラムのそれよりは地下鉄のものに近く、心臓部には手慣れた技術を使って信頼性を確保しようとしていることがわかる。
 床が低くなった分床下の機器を置くスペースがなくなったが、車高を上げて屋根の上に機器を移すことで対応した。また、モーターを動かす制御装置は、チョッパ制御装置を採用している。すでに1987年段階では、VVVF制御の採用が始まっており、同年登場の広電3800形ではVVVFを採用していたが、グルノーブル形では当時のフランスで一般的であったチョッパ制御を採用したのである。制御装置の面でも、できる限り従来から使っている信頼性のあるシステムを使おうという方針が読み取れる。外観も後のフランスのトラムの前衛的なデザインからすれば、ずっとおとなしいデザインをしており、堅実な印象を受ける。後に路線延長した際も同じ車両を導入していることから、このトラムは非常に使いやすい電車であったのであろう。

 世界初の機軸を取り入れながらも堅実な設計をしたグルノーブル形トラムは、開業後にトラブルを起こすことなく順調に運転された。床が低く段差のないトラムが走り出したことにより、グルノーブルでは身体障害者の公共交通利用が一気に増えた。介助なしでも車椅子の乗降が可能なトラムは、身体障害者が自力で外出することを可能とし、身体障害者のモビリティーを高め、彼らの移動の権利を保障したのである。グルノーブルでのノンステップトラムの成功は、トラムが福祉に役立つ交通手段であることを証明したのである。大気汚染・省エネや効率的な輸送手段という観点からだけでなく、福祉という面から、マイノリティーの権利確保の点からもトラム導入が検討されるようになったのはすべてグルノーブル形トラムの投入からであると言って良い。グルノーブルのトラム開業までは、トラム復権という面ではフランスはドイツやアメリカ、日本に比べて完全に出遅れていた。だが、グルノーブルのトラムの開業はフランスにおけるトラム復権を促したばかりではなく、福祉、移動の権利の確保のためのトラムという新たな概念を定着させたのである。

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4,グルノーブル形トラムがもたらしたもの 

 1992年、パリ郊外のサンドニとボビニーを結ぶトラムが開業した。1930年代に廃止になって以来、パリに久しぶりに復活したトラムである。続いて1994年、ルーアンにトラムが開業。パリ・ルーアンともに、グルノーブル形トラムが導入され、ノンステップで身体障害者に利用しやすい乗り物の真価を発揮した。超低床車というメリット以外に、堅実で安定した電車として設計されていたので、後続都市もこの電車を採用したのであろう。同じ電車を買うことにより、一両あたりのコストは安くなる。1994年前後にはストラスブール、ブレーメン、ブリュッセルと言った都市で動力部分も台車も車軸をなくし、車内が100%低床としたトラムが相次いで導入された。グルノーブル形トラムを契機にしたノンステップ=トラムの技術が進化し、100%低床車を実現したのである。1997年に、国鉄の廃線跡を利用したパリのトラム2号線(セーヌ渓谷線)が開業した。すでに各地で新型の100%低床モデルが出そろっている時期であったが、RATPはここでもグルノーブル形トラムを導入した。新型車ではなく当時ではすでに古いタイプになりつつあるグルノーブル形を導入したのは、この電車がきわめて扱いやすいものであったということであろう。技術の中絶を経て、新機軸の採用で奇跡の復活を遂げたグルノーブルのトラムは、グルノーブルに引き続き、他の2都市で採用されるという成果を上げたのである。

パリ、現行塗装車
ルーアンの電車
図4 上:パリに導入されたトラム。下:ルーアンの車両。塗装が異なるだけで、全くグルノーブルと同一の車両である。ちなみに、パリの車両は1号線開業時には現在と異なる銀色ベースの塗装であったが、2号線開業にあわせて全車上記の塗装に変更された。

 90年代後半になると、ドイツのメーカーが積極的に100%低床車を開発し、ヨーロッパ中に売り込むようになるなか、部分低床車であり制御装置などの基本設計が古いグルノーブル形はさすがに見劣りするようになってきた。アルストム社はグルノーブル形トラムの後継機種であるCITADISを開発し、まず部分低床車をオルレアン、モンペリエに納入、続いて100%低床車がリヨンに導入された。CITADISはイタリアのミラノ、ローマにも納入され、スペイン・バルセロナからの発注も受けた。1987年までフランスのトラム技術は完全に中絶していたのだが、わずか10年あまりで先進技術を持つドイツのメーカーとも競争し、外国に輸出できるまでに水準に達したのである。すべてはグルノーブル形トラムの成功にあったと言ってよい。

 同じ1987年に広電3800形を送り出した日本の路面電車製造メーカーは、その後続々VVVF制御を採用した高性能なトラムを次々と送り出した。だが、床の低い電車が作られることはなかった。1997年に熊本市電が日本初となるノンステップトラムを導入したが、日本のメーカーにはノンステップトラム製造技術がなかったために、ドイツのADトランツ製車両を輸入した。広電も、3800形に続き、3900、3950形を新造して近代化が進んだもののノンステップ車の導入は遅れ、1999年にドイツのシーメンス製コンビーノを輸入した。日本の路面電車製造の中心であったアルナ工機は、こうした状況を受けて2002年からリトルダンサーというノンステップ車を発表した。リトルダンサーシリーズは、コストのかかる動力台車の低床化は行わず、台車間のスペースのみノンステップにした車両である。設計手法自体グルノーブル形に似ており、松山のリトルダンサーS形(写真を見る)などはグルノーブル形を短縮して単車ボギーにしたような構造である。リトルダンサーは15年遅れで登場した日本型グルノーブル形トラムとも言える。国産ということで、国内の事業者にとっては魅力があっても、ヨーロッパに輸出してゆけるだけのレベルではない*7
 広電3800形とグルノーブル形が登場した1987年の段階では、日本とフランスのトラム製造技術は互角か、むしろ日本の方が上であったと言えよう。広電3800形は当時の最新技術を駆使した、ハイテクトラムの最初の量産型であったのである。新たな技術への挑戦という面では、熊本市電8200形や広電3800形のハイテク制御の成果はすばらしいものであった。だが、わずか15年で差がついた。フランスはノンステップ車を外国にどんどん売り込み、日本にまで売り込みをかけるようになるくらいにまで成長した。その差はどこから生じたのであろうか?それは、低床化を行うべきか否かという判断だったのである。早くに低床化に踏み切り、その技術を開発したフランスは低床化の中で競争力を持つことができたのである。むしろ、低床化に踏み切ったことによって世界のトラム・LRTの流れを一気に低床化の方向に変えてしまったと言って良い。基本設計が古く、1997年当時ですでに見劣りし始めていたグルノーブル形トラムが、他に選択肢があるにもかかわらずパリの2号線に導入されたのは、他の部分が古くても低床車ということで十分通用する存在だったからである。逆に、低床化の流れの中では、いくら他の技術が高くても、低床化の技術を持たない日本は、いつしか世界のトラムの中で遅れた存在となってしまったのである。

 1987年の段階での日仏のトラム関係者の判断の差は何に起因するのであろうか?フランスで低床化に踏み切ったのは、直接の理由は地元の身体障害者団体からの要望である。だが、フランスでは1982年の段階で、マイノリティーの移動の権利を保障する「交通権」という概念が交通基本法「LOTI」に盛り込まれていたことを忘れてはならない*8。「交通権」という概念が規定された社会であったからこそ、身体障害者団体の要望が公共交通の開発に取り入れられたのである。その上で、トラム開発に関わった当事者はマイノリティーの移動の自由を保障し、誰にでも利用しやすい電車を実現することを目指したのである。それは、単なる技術の開発ではなく、床の低いトラムを通じて、積極的に社会改良を進めていくような技術を作ろうという考えに他ならない。そう、1987年の日本には、マイノリティーの権利を保障し、誰でも利用できる公共交通を実現させようという考えが抜けていたのである。日本の公共交通でマイノリティーの移動の自由を保障が制度的に実現するのは、2000年11月の交通バリアフリー法の施行まで待たねばならなかった。1987年に作られた広電3800形は優れた車両ではあったが、それは単なる電車としてしか作られてはいなかったのである。グルノーブル形トラムはマイノリティーの権利確保という、人類普遍の目標の下で開発されたのである。人類普遍の目標であったが故に、超低床車はヨーロッパの中で瞬く間に受け入れられ、他の国に輸出するまでになり、超低床トラムは一つの産業として成功したのである。一つの目標を持って開発されたグルノーブル形トラム−それがもたらしたものとは、マイノリティーの権利を保障する公共交通の実現、そしてそれが常識となったことに他ならない。まさに都市交通にとって、住民にとって、街にとってそれは一つの革命であったと言って良いのであった。

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南 聡一郎
2004年2月6日記
2004年2月29日訂補

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写真:グルノーブルの街中を走るトラム 写真:パリ・セーヌ渓谷線 写真:ルーアン、郊外部にて
写真:グルノーブルの山並みをバックに停車中のトラム
グルノーブルのトラム
写真:パリ・サンドニ線
パリのトラム
写真:大聖堂をバックにセーヌ川を渡るルーアンのトラム
ルーアンのトラム


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参考資料
『鉄道ピクトリアル』2000年7月増刊号、特集LRT・路面電車
バリアフリーデザイン研究会編著『バリアフリーとまちづくり』2000年、学芸出版社
制御装置の解説は主に近鉄時刻表1990年号を参考にした。


*7 : ただし、近畿車輛や日本車輌などの日本の車両メーカーから、ニュージャージーやロサンゼルスなどアメリカへの納入実績は伸びている。これは、車体強度の基準のためにアメリカでは現在100%低床車が採用できないうえに、高速走行形の高床形LRV採用が多いので、アメリカのLRTへは日本のメーカーの技術で十分対応できるからである。

*8 : 念のために付け加えておくと、法律があるからと言って、フランスでもどこでも身体障害者の円滑な公共交通利用が実現しているわけではない。例えば、パリの地下鉄(メトロ)の身障対応は世界的に見ても最悪クラスで、駅には段差が多くエレベーター・エスカレーターなどもほとんどない。パリ交通営団(RATP)ですら、公式の身体障害者向けの利用案内でメトロではなく、ノンステップ化されたバスを利用することを推奨している。他の都市やパリでも郊外のトラムは身障対応がちゃんとなされているであるが。